「死にかけたんだよ」と言われてもピンとこないし、一生かかってもきっと理解できない
義理の母親、妻に
「あなたは死にかけたんだよ」、「良くココまで治ったね」
今でもそんな言葉をたまに聞かされるが
倒れた本人はピンとこないし、一生かかってもきっと理解できない
いやいや 絶対に理解できない
なぜ、そこまでハッキリ言い切れるのか???
とりあえず 今日までの事を自分なりに
時系列でまとめてみますわ(なるべく簡単に)
2021 3/6
3時の休憩後、仕事を始めよとしたが、急に胃の辺りが痛み始める
なぜ3時過ぎと判ったか?
退院して会社の人間にその時の事を聞いたからだね
余り痛くて床に横たわり、
あまりにも痛がるので会社の人間が救急車を呼ぶ
ストレッチャーの載せられ事までは覚えてるが
そのあとは 失神したので全くわかりません
記念病院到着後、わたしの緊急オペ開始
開胸されて大動脈の一部を人工血管に交換
病名:大動脈解離
しかもスタンフォードA型(死ぬ確率が高いそうです)
https://newheart.jp/glossary/detail/cardiovascular-surgery_014.php
夜中にもう一度開胸して緊急オペ
心タンポナーデになったんだって(妻に退院して聞いたからね)
https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/cardiac_tamponade/
大動脈解離になるとセットで心タンポナーデになることもあるそうです
経過観察の受診で担当の主治医がそんな事をいってたからです
会社で失神してから10日後前後(3/16かな)にICUのベットで目覚めました
この日付はハッキリしてませんが、3/19よりであることは、ハッキリ覚えてます
3/19は娘の卒業式だったんです
ICUで目が覚めた時にそばにいた看護師の方に
「3/19までに退院できますか」って聞きましたからねえ
看護師の方は「んんー」とだけ答えたような記憶が残ってるんですよ
今思い出すと「バカな質問したな」と恥ずかしくなりますが
そのときは、自分の体がどうなっているのか全く理解できてませんから
普通のことを聞いたんでしょうねえ
目が覚めて数日後にMRIを行い
その数日後にフードテストだったかな
それとも
フードテストが先でMRIがあとだったか
その辺の記憶が曖昧みたいです
フードテストとは
誤飲しないように専門家と一緒に、物を食べたり水などの液体をのむことです
それまでは一切食事は出来ませんし、水分もダメです
(ただし、口内を湿らせる程度の水分はOK)
フードテストを行った後から食事と水分俸給はOKとなりました
病院食開始のじきは3/19は過ぎてますね
ただし 水分は1日200cc以下だったかな
(缶コーヒー以下で看護師にグチった記憶があります)
それから 妻+主治医+私の簡単な三者面談
主治医からMRIとCTの画像を見ながら病名と現在の状態に付いて聞きました
大動脈解離になって
心タンポナーデになって
脳梗塞までなって
今こうして記事を書きながらまとめてますが
あきれてもー笑うしかないって感じですわ
https://www.mt-pharma.co.jp/general/sick/stroke.html
その時は、まーほとんど覚えてませんけどね
「右半身動かないないんだあ」
「それで右手で食事できないんだ」
それ位は覚えてました
右足に関してはほとんど動きませんでしたが
右手はスプーンを使って食事ができるまで回復しました
4/6にリハビリ専門の病院に転院してから右足も
少しずつですが、動くようになりました
リハビリ専門病院で、どのようなことを行い
自立歩行が出来るようになったかも記事にしますから